この頃のBullshit!

ヨーロッパでは戦前あたりまでは、男の子の色は赤、女の子の色は青だったそうです。それが現在の様に逆転したのは、専ら玩具メーカーや子供服メーカーのマーケティングによるところが大きいのだと、以前、大学院の授業で聞いた事があります。たしかに、美術館に行けば、名画の中に描かれている王様は赤いマントを纏い、教会に行けばマリア様は青い服で立っています。一見、まるで生得かに見える程の価値観も世の中の趨勢に多分に影響を受ける移ろいやすい存在なのだと気付かされます。幼くて、周りの事などまるで見えていない様に思える幼稚園児でさえ、周りの環境から、しっかりと情報を受け取って、「世間の色の価値観」の枠組みに合わせているのです。長女もピンク色のドレスを着たPrinzessin(お姫様)大好きです。

「世の中の趨勢を占める価値観・伝統・美意識」・・・・ええ、良い歳の大人ですもの、「和を以て尊しとなす国」の国民ですもの、ちゃんと空気呼んで、礼儀正しく、これらの価値観には対応させて頂きます、わたくし。たとえ、個人的な指向とは違っても、必要とあれば微笑みかけたりもできます、実害のないものについては。
しかしながら、実害のあるものについては・・・・・やはり・・・
Bullshit!と、言わざるを得ません(笑)

この頃の日本のニュースを見ると、やれ育児休暇3年だの、保育園増設だの、会社での女性のアファーマティブアクションだの、不妊治療へのサポートだの、少し前とは違って、かなり本格的な女性の社会進出や出生率増加に向けての取り組みを押し進める流れを感じます。先進国中、最も女性の社会進出の遅れた国が、最も高齢化が進んだ国が、国家財政も経済も人口計画もメタメタになって、ようやく動き出したようです。このまま、労働人口が減って行けば、移民の受け入れもやむなしとなる算段は高いですからね。保守的な国には、避けたい事態なのでしょう。政府の動きを受けて、メディアも盛り上がって参りました!

今の動き、それ自体は歓迎すべきことだとは思います。女性にも生き方の選択肢が増えるんですから。各家庭においても二馬力で働ける環境は今の世の中、利する事が多いと思います。でも、まるで朝から晩までタバコ吹かして、家庭も妻にまかせきりにして、昼は会社、夜は居酒屋を転々としてそうな経済誌のおじさん達が書いたような記事など読むと、女性の労働力を牛や馬など家畜の労働力を計算しているようでイラっと来る事があります。「どうやって巧く働かせるか」。話はそれ以上にも以下にもならない展開の三文記事をよく見かけます。育児休暇や保育園増設が、まるで「巧く働かせる為の」飴の様に語られています。育休や保育所増設は、単に眠っている労働力を掘り出す為の「飴」なのか・・。

正直、育児休暇3年(うちの会社は既にありますが)が法制化され、保育園増設が進めば、女性が働ける枠組みはできますが、「わーい」と諸手を上げて喜ぶ気にはなれません。だって世の中の趨勢を占める価値観は「働く女性は家事も育児もちゃんとやって一人前」だから。くるくる働き、なんでも全部自分一人でこなす女性に「エラいわー!」と社会は賞賛し、メディアは「理想の働く妻・母」像を作り上げ、女性達はそれに向けて邁進する・・・・「理想的なデキル妻・母」になるべく。そして、八面六臂の活躍で、すり減って、疲れ果てて、呟きます。「つ、辛いわ。でも家族の笑顔があるから頑張れる!そう、そんな私は輝いている!」。

「・・・・・・」

まるでアタックNo.1か何か、スポ根ドラマです。日本人はこういうの大好きですから。そうやって一人で背負い込んで疲弊して行く生活が、もしくは背負いきれない自分に劣等感を抱いて行く生活が、豊かな日々と言えるのか。
繰り返します、こんなのはBullshit!だと思うのです。この物語には家庭のもう一人の担い手の「夫」は単に脇役に過ぎません。先日、政府の経済再生会議で某経済界のお偉いさんが「24時間保育所は深夜勤務の女性に対しての環境整備としてふさわしい」などとコメントしておりましたが、この発言、「保育所=女性の為」の文脈から抜けきれていません。今の政策はこういうおじさん達の価値観ベースで考えられているのでしょう。

育メンなどと言う言葉が流行り、団塊の世代のような「自ら家事・育児を行うなど男の沽券に関わる」などと、一切を放棄した世代とは一線を画しているかのように見えますが、正直、その多くは「ファッション」や「お手伝い」の範疇を抜けていないように思えます。それはそうでしょう。未だに終身雇用ベース、会社に「ご奉公」してなんぼです。男性にそんな余裕はありません(父親世代は余裕があってもしない人が多いけど 笑)。しかも、高度成長&バブル経済と、基本的に「男は会社」「女は家事」の分業が経済的にも可能だった家庭に育っていますから、親の振る舞いが体に染み付いています。先ほどからBullshit!!と繰り返す私でも、「家の仕事は女」の価値観が、「振る舞い」として「美意識」として、自分の中に染み付いているのを発見するにつけ、この問題の根深さを感じます。「女の子はピンク」という中に育つと、気がつけば、ピンクのドレスを自分の美意識やアイデンティティとして選ぶ様になるのと同じです。実はそれが社会構造によって見えない形で強制されていたとしても、まるで自主的に選んでいるかの様に。たとえ将来、社会の方が正反対の価値観を示していたとしても。

高度成長もバブルも吹っ飛んでしまった荒涼たる日本では、経済全体が、もはや女性を家の中に置いておいては成り立たなくなって来ています。男性の方も、大黒柱よろしく、会社にご奉公しておけば、女性を家に置いておける経済力を安定的に保てる人というのは多くなくなっています。男性の未婚率の増加の背景には、こうした経済的要因も大きく絡んでいると聞きます。若い人が結婚したくても出来ない社会の未来を思うとぞっとします。

例えば、もし「男は会社・女は家事」の価値観ベースで作った「女性の社会参加に向けた労働環境整備」ではなく、「労働の流動化やフレキシビリティを増す環境整備」という、もっと大きな枠組みで行われたなら、、、欧州に暮らしていると、いつもそんな事を考えます。全体の中で個人の権利や個人の生活が気がつけば、どうしても軽視されがちになってしまう傾向のある日本だからこそ、今の(とりあえずは夏の選挙に向けた)女性の労働環境整備政策アピールには、訝しいまなざしを向けてしまう今日この頃です。