お勧め本について

日曜日は夫が日本から適当に見繕って送ってくれた本を読んで過ごした。その人が表立っては見せない心の奥とか感受性などに触れられる気がして、私は誰かが私に選んでくれた本を読むのが好きなのだけれど、夫と一緒に暮らしているときは、気がつくと、そんなこともしなくなっていたから、妙に新鮮だった。

そして、つらつらと思い出した。随分昔の夏、北アルプス剣岳に登った時のこと。下山後、同じ広島に向って帰ることになった夫(当時はお友達♪)と列車の中の暇つぶしに、お互い小説を選びあった。彼が私に選んでくれたのは宮本輝の「道頓堀川」だった。遠い記憶を辿ると、たしかに、それが始まり。それで彼に興味が湧いたのを覚えている。些細なことだけれど、これが、いかにも20代の男の子が選びそうな司馬遼太郎とかだったら、私の人生も変わっていたかもしれない(笑)

そういえば、人から勧められた本で変わり種と言えば池波正太郎の「男の作法」だ。随分と年の離れた人に課題図書として渡された。当時の私は会社の同期にも「発想・信条がオヤジっぽい」と言われていたから、「やっぱり、自分は鍛え甲斐のあるオヤジ・オーラ」を放っているのだろうかと笑ってしまったのを覚えている。タイトルだけでは、一生手に取ることもなかっただろうけど、中身は小気味よいエッセイで、お蕎麦や天ぷらの食べ方に始まり、組織や生き方にも言及していて、少々今の時代とのギャップも感じるけれど、とても面白い本だった。勧めた本人は、「オヤジっぽい子」に「オヤジ本」を読めと渡したことなどすっかり記憶にはないのだろうけれど、お陰で私は、それ以来、相手のお蕎麦やお刺身の食べ方が気になる子になってしまった。

放たれた言葉同様、「お勧め本」も、送り手よりは、受け止める側の中で、いろんな意味を帯びて、当時の記憶と共に勝手に育っていく。読みたいものだけ読んでいると出会えない偶然が面白い。