本日の議論

今日は今学期最後のColloquiumでした。
もう学生達の発表は終わってしまったので、修士のプログラム自体への感想や改善点について、みっちり2時間半教授陣と話し合いました。

まぁ、毎回の話題ですが、学生側としては「様々な専門領域を持つ異なった背景の学生が集まって来るのだから、もっと共通の土台となる基礎的な授業も提供して欲しい」と言う要望が上がり、学校側としては「学部生ではなく、もっとハイレベルなものを期待しているのだから、不足する基礎部分は個別に自分たちで学部の授業を取りなさい。修士レベルでの共通となる土台部分は学校側が定義して与えるようなことはしない。試行錯誤の中で自分で理解し身につけなさい。学校はそのサポートは行う。」と言う回答。最終的には歩み寄りの案は毎回出るのですが、やはり学校側のスタンスは変わりません。このスタンス、ドイツっぽさがプンプンします。

うちの学校は、例えば、イギリスや日本、アメリカの大学院の大半が最初の一年で必須の授業で基礎をつけ、次の年に、それをベースに修論を書かせるのとは違って、出願の時点で設定した研究内容を如何に大学院で提供される授業や教授からのインプットを糧にしてブラッシュアップし、最終成果物として仕上げるかというのが基本になっています。なので研究内容によって自由に自分の意志で授業を選べる反面、修士全体の共通部分はColloquium(修士全員参加の学術討論会のようなもの)しかありません。もちろん、その間、Teaching Assistantを経験したり、細々と卒業要件の設定はありますが、具体的な授業内容の指定はないのです。

「こうするものですよ・・・」と方法論を明示されない仕組み、デザイン畑出身の友人達でさえ、研究をどう進めるべきか、試行錯誤を迫られるものの様で、今日も切々と友人が苦労を語っていましたが、いわんや、ビジネス畑出身の私には茨の道でした(正確には今も茨の道ですwww)。

日本では未だにデザインと言えば、グラフィックやプロダクトなどを中心にイメージされますが、今や欧米では組織、システム、サービス、ユーザーインタフェース等、幅広い範囲に及びます。昨今の様々なイノベーションの陰にはデザイナーやデザイン・コンサルあり、、というのは常識です。こうした際に使用されるデザイン独特の思考様式(Design thinking)、アプローチ方法、スキルに興味があって飛び込んだデザイン・スクールですが、上述の通り、学校は定義された思考様式やスキル、メソッドなどを手っ取り早く、教えてくれるところではありませんでした。

プロジェクトや教授からの指導、友人達との議論の中から自分自身で試行錯誤し、体得していくのが基本の学校でした。「なんて効率が悪いの!」と最初は思いましたし、何をどうやって進めたら良いのか途方に暮れる時も数限りなくあり(酷評もされ!)、今、ようやくプログラムの半分を終了して思うのは、このドイツ的徒弟制度(ドイツ的アカデミズム?!)の延長のような制度も悪くないなと言うことです。そして、今までの自分はあまりにも、色んな意味で「枠組み」を与えてもらって、その中で、枠組みの期待する通りに考え、行動する事に慣らされていたなということです。そして試行錯誤の上の発見は、「体得」という言葉に相応しい感覚をもたらしてくれるということ。

そんな思いを持ちながら、参加した今日の議論でした。毎回の様に繰り返される、学生達の「もっと枠組み与えてよ」要求も、教授達の「大学はそんなところではない」という反論も、また、この度も、あまり進展することはないんだろうな(笑)でもたった2年間のプログラムなんですから、学校側ももう少し歩み寄ってくれてもいいんじゃないかとは思います。

入学したての頃、手っ取り早く、最新のメソッドやスキルを得ようとする私に指導教官のB女史が言い放った言葉が忘れられません。

「あなた、そうやってState of the art(最新の)ツールやメソッドを追い求めようとするけれど、分かってるの?State of the artなんてね、、、すぐに廃れるのよ!」

ごもっともでございます!